ギリシャ Greece Ελλάς
コリントス Corinth Κόρινθος
紀元前9世紀にドーリア人によって建設されたポリス。紀元前431年のペロポネソス戦争ではペロポネソス同盟に加わり、その経済力をもってスパルタの勝利に大いに貢献した。紀元前338年にカイロネイアの戦いに勝利しギリシアを制圧したマケドニアは、紀元前337年にコリントスでマケドニアを盟主とするスパルタ以外の全ギリシア都市同盟が結び、ペルシア戦争への布石とする。ヘレニズム時代を迎えてコリントスはギリシアの中心として発展するが、紀元前146年、第3回ポエニ戦争で地中海の覇権を握りたいローマに攻められ、カルタゴと共に滅ぼされてしまう。紀元前44年にカエサルによってローマ植民市として再建され、今日ローマ時代の遺跡も数多く残っている。
オクタヴィア神殿
Temple of Octavia
初代ローマ皇帝アウグストゥス(オクタヴィアヌス)の姉オクタヴィアに捧げられた神殿。コリント式。ドーリア式のアポロン神殿と比べると、柱頭に特徴的なアカンサス(ハアザミ)の葉のデザインが施されているのがよく分かる。
ペイレネの泉
Peirene Fountain
コリントスが舞台の悲劇『メディア』(エウリピデス作)にこの泉が登場するため、その頃(紀元前5世紀)にはあったのだろうが、現在見られるものはローマ時代に再建されたもの。神話ではベレロポンが泉の水を飲んでいたペガソスに乗ってキマイラを退治したと伝えられる。
コリントス運河
Corinth Canal
Διώρυγα της Κορίνθου
ギリシア本土とペロポネソス半島を隔てているコリントス運河(長さ6,343m,幅23m)。67年にネロ帝がこの運河の開削を実行したが、途中で崩御したため中止に。実際に開通したのは1893年。
- 場所 37°55′37.5″N,22°59′39″E
- HP http://www.corinthcanal.com/ (希・英語)