中
国滞在3日目の朝を迎えました。本日は、いよいよ万里の長城に登ります。
とその前に、紫禁城の北西に位置する頤和園を訪れました。ここは、西太后ゆかりの地でもあります。頤和園の前身は、乾隆帝の命により1750年に造園された清漪園でしたが、1860年の第二次アヘン戦争で破壊されて廃墟と化してしまいました。それを1884年に再建したのが西太后であり、離宮として使用しました。1900年にも八カ国連合軍により破壊されましたが、これも1902年に再建されています。
頤和園は290haという広大な敷地であり、じっくり見たら一日あっても足りません。そんな中、フリータイムはたったの1時間。というわけで、大急ぎで見て回ります。
まずは、何と言っても、728mもある長廊でしょう。東の邀月門から西の石丈亭まで、延々と続く長廊の姿は圧巻です。
しかも、長廊の梁や柱には、様々な題材の絵が描かれており、その数なんと14000枚余だそうです。1枚1枚絵を見ている時間はないので、長廊を突き進むと終点には、石でできた舟、清晏舫があります。これは、清朝の安定を願って1755年に着工された青白石作りの舟です。往時には西太后が船内で朝食を食べていたのだとか。
さて、最後にはちょっとした丘の上に建ち、頤和園全体を見渡せる仏香閣に登ることにしました。この後、万里の長城にも登るのにと駄々をこねる相方を説得して、いざ結構ある階段を上がります。
時間もないので急いで登ること数分、天辺からは頤和園と昆明湖を一望することができました。これにてタイムオーバーです。
そんなこんなで急いで回った頤和園を後にし、バスは万里の長城に向かいます。万里の長城は中国北部を東西に6000kmに渡って連なっていますが、今回はその中でも北京から高速道路で行ける八達嶺長城に行きました。途中で昼食を済ませ、13時過ぎに八達嶺長城に到着。山の斜面にはピンク色の花が咲き乱れています。ガイドさんに聞くとモモの花だとか。この時期は満開となり最高のタイミングです。
八達嶺長城には男坂と呼ばれる向かって左手の急斜面と女坂と呼ばれる右手の緩やかな斜面があります。ということで女坂へ。ずっと連なる長城にゴールも何もないですが、4つめの城楼を目指し登ります。
それにしても山の尾根に沿って延々と続く長城の姿は見事というしかないです。よくもこれだけのものを造ったもんです。てくてく歩くこと30分、ゴールとしていた4つめの城楼に到着です。この先も地平線の先まで長城は続き、歩いている観光客も多かったですが、とりあえず我々は撤収です。
が、ただ来た道を戻るのもおもしろくないので、長城から降りて山道を歩いて帰ることにしました。そう、長城には随所に下に降りる階段がついていて、そこから山道に出られるのです。今の時期はモモが満開なので、そのモモの下をくぐりながら山を下るのは乙なものですよ。
そんなこんなで14時半には長城を後にしました。北京市内への帰り道、車窓から居庸関を見ることができました。居庸関の上に位置する道を通るので、見下ろすことができます。居庸関は6つの文字で併記された経文が残る雲台があり、西夏文字の解読につながったのだとか。行ってみたかったですが、残念ながらバスはスルーです。昨日までは中国も連休であったため大渋滞だったらしいのですが、今日は渋滞することもなく17:30には北京市内で夕食にありつけました。
以上で、ツアーは終了です。いろいろなショップに連れ回されるのが欠点ですが、短い時間で効率よく回るにはツアーもいいですね。明日は早朝に帰国の便です。
関連ページ:
北京 Beijing